この間さ、友人のご尊父さまが鬼籍に入られたのでお通夜に行ったのね。
で、お清めの席から地元の居酒屋さんに移動したの。
もろに喪服だし、お店に嫌な印象を与えるのもなんだし、お店に頭だけ突っ込んで「すいません、3人なんだけど。」って言ったのね。若くてかわいい店員さん、多分二十歳そこそこの今風のおねーちゃんが「空いてますよ、どうぞ」って言ってくれました。
で、「ありがとう、あ、ちょっと塩もらえます?」って言ったのよ。通じないかなぁと思いつつ。そしたらさ、「あ、お清めですね、ちょっと待ってて」って。やっぱり下町だなぁ、通じましたよ。うれしかったねぇ、おぢさんは(笑)

で、例のお清め塩廃止問題。
こんなんでましたよ。
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XXXXXXX 様

同和問題にとりくむ兵庫県宗教教団連絡会議

議長 高野山真言宗 森 見章
葬儀式における「清め塩」廃止のお願い

私たちは「同和問題にとりくむ兵庫県宗教教団連絡会議」といいます。1982年5月28日、以下の宗教教団によって部落差別をはじめとするあらゆる差別を無くし、人権を守ることを目的に結成されました。曹洞宗、高野山真言宗、念法眞教、天理教、金光教、真宗大谷派、日蓮宗、大本神戸本苑、大本播磨本苑、日本基督教団、臨済宗南禅寺派、真宗興正派、兵庫県神杜庁、浄土真宗本願寺派、浄土宗西山深草派、真言宗金剛院派の教団です。

今、私たちは葬儀式における「清め塩」の考えは差別を温存助長するものだと考え、この廃止の取組みを進めています。
昭和40年ごろから、葬儀式において、一般的に「死」または「死にかかわる」ことを「穢れ」と受けとめ、忌み嫌うところから、清めの意味をもって「塩」が用いられるようになってきました。そのような認識と習慣から最愛の親族や友人の死を穢れたものとして扱い、「死」に携わる人を差別するという、非宗教的な悲しい歴史が造られつつあります。しかし、例えば、仏教においては、そもそも「生死一如」「生者必滅」といい、「死」を穢れたものとは受けとめません。生と死は切り離せないものであり、死者を穢れたものとする「清め塩」は、都合の悪いことは遠くへ追いやろうとする自分中心の心が生んだ迷信に過ぎません。

このような観点から、葬儀式における「清め塩」の廃止の取組みを進めています。貴社(貴教団・貴仏教会)においても、このことに充分のご理解をいただき、「清め塩」の廃止のご協力をお願いするものであります。

よろしくお願い申し上げます。
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ここにも利権問題がちらほらちらほら。

そもそも、死んだ人間を穢れとしてとらえてそれを祓うために塩まいた事なんかないっつーの。そんな事言っているオマイらがそう思っているってことじゃねぇか。自分中心の心を持っているのはオマイらだ!!

部落解放とか、同和とか、そもそも好かん話だが、その圧力に屈したとしか思えない宮津市の行動はあきれるばかりですな。